行きつ戻りつ

走ったり、投げたり、時に釣ったり、何か作ったり、生きてりゃ行き当るとりとめなき事を

人生初 〜その1〜

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マラソン大会に出場してきた。

秋雨前線よ、なんでこんな時にやって来るの⁉︎

“初!”にはおよそふさわしくない日和になることはもう何日も前からわかっていたけれど、実はこの冴えないお天気様様だった。こういうイベントの前には何しろ眠れない、という人生を送ってきたのに、雨じゃ〜なんでじゃ〜とテンションも下がり、入れ込めなくなっていたせいで、昨日はぱたっと眠れてしまったのだから。

記録は1時間49分9秒。目標は40分を切ることだったのだが、9月から忙しくなり、圧倒的に練習不足だったことを考えれば、初マラソンにしてはまずまずのタイムだったと思う。残り3キロで足がつりそうになってスパートできなかったのは残念だった。それでもまあ頑張ったよ。笑顔でゴールできて少し幸せだった。

いきなりフルマラソンを走る度胸はなく、ハーフを選んだ。21.0975キロだ。でも1年前の自分なら、「そんな距離、一生走らないよ」と思ったに違いない。

それがおよそ1年前、ガチで走っているランナー(自分より年上)、Y夫さんと知り合って話が変わった。そのバネの効いた跳ね飛ぶような走りと、まるで杉の切り株のようなフトモモを目の当たりにして衝撃を受けたのが全ての始まり。

足腰の衰えを自覚していたにも関わらず、手をこまねいていた。網膜に焼き付いたY夫さんのフトモモと、一生懸命力を込めてみても、“筋肉というものが昔ここにあったらしい”という痕跡が感じられるだけの己が太ももを比べて、このまま終わってはいかんのじゃなかったかわしは!と俄然その気になった。

走り始めたのは去年の12月19日。1.7キロに10分もかかった。体は重く、呼吸もきつく、我ながらびっくりした。こりゃ無理しようにもできないぞ、と思ったので、闇雲に距離を伸ばさずペースも上げず、前日より苦しい思いをしないように走る、というルールを決めた。

何だそのランナーにあるまじき姿勢は?どこが俄然その気になったのだ?と思う人もいるかもしれん。ところがそうではない。そうではないのだ。過去に何度か自分を追い込みすぎてランニングを続けられなかった経験があるのだ。

 

 “やるからには昨日の己れを越えなければ意味無し!右肩上がりでなければならん!”

 走ろう、と思い立つとき、おれのアタマの中は大抵こんなモードになっている。葛西紀明のドキュメンタリーを見たとか、楽天日本シリーズを制した時のマー君の鬼神降臨とでも言うべき凄まじいピッチングを見たとか、そんな事がきっかけになっているからだ。なので当然テンションは高い。

高いにしても、我ながら、何だってそんなことになるのだ、アホじゃなかろうか、と思う。だいたいお前は誰なのよ、何をする人なのよ、と呆れもするんだが、自分の根っこのあたりに取り憑いているらしい昭和スポ根的心性とでもいうような何かが、頑なに聞く耳を持たないのだ。そういう時はもう仕方がないのだ。

その声に押されて、しばらくは走る距離もタイムも伸びて行く。しかしその伸びは次第に鈍り始める。当たり前だ。

その挙句、しばらく走っては諦め、忘れた頃にまた走り始めてはへし折れることを3、4回は重ねた。

その教訓は今こそ生かしたい。生かさずにまた折れてしまったら、もういい年のおれに、次は本当にないかもしれないのだから。

 

そこで2月に初めて月間スローガンを作った。

“明日の己れに勝つなかれ”

こうやって釘を刺しておかなければ、いつなんどき理不尽大魔王が目を覚ますかわかったものじゃない。

 ところが、確か何か面白くないことがあった。それで思わず書き付けた3月のスローガンはこうだ。

 

“昨日の自分に勝たなくてもいいさ、などとうそぶいてんじゃねえぞこの腰抜けが”

 そして、4月。

 

“うかうかしてると、せっかくの蓄えなんぞ簡単に底をつくと思い知れ”

 3月は何かと忙しく、それを言い訳に、走った回数も距離も1、2月を下回ったからだ。

 

そして、さすがにそんな自分に呆れたので、5月からはスローガン作りをやめた。

しょうがねぇな、おれはやっぱりおれで、こういうヤツなのだ。走るのは誰のためでもない。走ることで健康になって、より丈夫で長持ちになったら、誰かのためになれるチャンスは増えるかもしれないが、そんなことを一番に考えて走るわけじゃない。

自分のために速くなりたいんだろ、長い距離走れるようになりたいんだろ、どこまでやれるのか確認したいんだろ、なら好きにやるしかなかろう、と思い直した。でも自己流はやめて、先人の教えからしっかり学ぶことにしたのだ。

 

それまで履いていたシューズは、安くて走りやすそうだという理由で買ったものだった。どうやら最適とは言えないことがわかったので、自分の走力に合わせたものを買った。

マラソンに関する本を、ランナーのタフネスに関するものからコミックエッセイまで何冊も買い込み、生活や練習に生かすようになった。

それでようやく今日のレースに至ったという、1年弱とはいえ積み重ねたストーリーがあるので、そこそこ感慨深いものがある。

その勢いでブログまで始めてしまった。

 

ブログもそうだが、今後も入れ込み過ぎたりして途中で投げ出してしまわないよう、息長く走り続けて行きたいものだなぁ、と思っている初(ハーフ)マラソン後なのだ。

 

                                        

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泥だらけになっちゃったけど、ありがとうよ、相棒