行きつ戻りつ

走ったり、投げたり、時に釣ったり、何か作ったり、生きてりゃ行き当るとりとめなき事を

走ることについて 〜思い返せば その2〜

初◯◯“道”

小学校3年の時、同じ団地に住む3歳年上のクボタ君がやっているのを見てかっこいいなぁ、と思ったおれは親友のせいちゃんと一緒に剣道を始めた。道場は団地の中庭の集会場。教えてくれるのは同じ団地に住むクマガイ先生だった。

最初は続くかどうかわからないということで普段着で竹刀を振り回していたが、しばらくして防具を買ってもらった。

足の指の感覚を失わせる冬の道場の床の冷たさも辛かったが、夏の防具の中の暑さといったらなかった。しかも汗が顔面をだらだら流れて痒くてたまらん!となって、面の前面の金具のスキマから指を入れて掻こうにも届かない。

           

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大人なら届く。でも子供はムリ!

稽古も段々厳しさを増す。試合形式でのクマガイ先生との稽古は本当に辛かった。

防具を身につけるだけでそこそこ重いのに、たえず動きながら竹刀を振り回し戦わなければならない。手を抜くとすぐバレて怒られる。

しかもこっちに余裕のあるうちは、先生は稽古を止めてくれない。止めてもらえるのは、ヨレヨレになって、そこでそれなりにいい手が決まった時か、これ以上はムリッ!てなった時だ。どっちにしろヨレヨレになる。

子供同士の稽古では、相手の竹刀が防具を外れて脇腹にバチーンと入ってしまうこともあったりする。もちろんものすごく痛い。普通に泣くレベルで痛い。面の中では涙目というかもはや泣いちゃっていても、お互いそこには触れないのが暗黙のルールだった。

小学校低学年の日常生活では、息も絶え絶えになったり泣きながら歯を食いしばって苦行を続けるようなことなどまぁほとんどない。大人にだってそうあることじゃない。そんな稽古が大好きなわけはなく、どうしたら今日はサボれるかな、などと週末になると思うのだが、小さな団地の中なので、さっきまで元気に遊んでいた奴が急に仮病も使えない。なので時間になると仕方なく稽古に向かう。

でも、本心からやめたいとは思わなかった。試合で技が決まるのは気持ちが良かったし、修行や鍛錬といった一心にその“道”を極める目的で自分を追い込むことが、どうやら大嫌いなわけではないことに薄々気づいていたからだと今は思う。