行きつ戻りつ

走ったり、投げたり、時に釣ったり、何か作ったり、生きてりゃ行き当るとりとめなき事を

本年の打ち止め

遂にJAスーパーマーケットの店頭から渋柿が消えた。売っているのは、普通の甘柿だ。さすがに干し柿はもういいかなぁと思っていたのが、今年はこれで終わりか、と思うと急に寂しくなる。

その足でもう一軒、愛して止まない激安スーパーに行く。ここはアイテムを絞り込んだ大量販売で圧倒的に安いだけではなく、海鮮もののレベルが高くそれを眺めるだけで楽しいので、2週とあけずに行ってしまう。

するとでかい甘柿が6個399円(税抜)で売っている。少し考えて2袋カゴに放り込む。今年は、これで打ち止めだ。

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今年はこれで打ち止め、だと思う

そうか、柿が終わって全てが終わるわけではない。何かが終わったら、次はあれだなぁ、と季節ごとの恵みを楽しめばいいのだ。JAスーパーの店頭では、その季節の食材がおれを待っているだろう。

10年ほど続けている梅酒や梅干に、今年は干し柿が加わった。ついでにビスコッティを自分で作る楽しさも覚えた。

実は干し柿の横でブドウを干していた。なんと言う品種か忘れたが、やたら甘いだけだったので、魚の干し網に放り込んでおいたのだ。順調に干されてゆき、それ以上縮まなくなったので、取り込むことにした。

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干しブドウには見えませんな

食べてみたら、ものすんごく甘い。ビスコッティー投入決定である。

家人がインフルに罹ったので、週末は肉団子野菜スープとスパゲッティミートソースも作った。伊丹十三のエッセイを10代の頃から愛読していたから、スパゲッティーの茹で具合にはうるさいのだ。アルデンテでなければならんのだ。蕎麦もうどんも素麺もひやむぎも決して茹で過ぎてはいかんのだ。ミートソースうまかった。これでミートソースも自分で作れるのだ。レパートリーが増えるというのは、大げさにいえば、人生の選択肢が増えたような気がするなぁ。

主婦のみなさんの日々のご飯作りに比べれば、おれのはお気楽極まりない息抜きみたいなものだ。だけどなぁ、食べ物を作る面白さや楽しさって、食べることはもちろん生きることとと直結しているんだと思うんだよ。食に関心のない奴は、ほぼ生きることに関心のない奴に違いないのだ。

まぁ暴論だろう。わかっている。

 

おれの母親は管理栄養士で、しかも根がクソ真面目で融通が利かないものだから、強迫的なまでに食い物にはうるさかった。いまだに実家に行くとあれやこれやと講釈を聞かされる。

そんな母親の言うことを素直に聞くことができなかったおれは、肉の3倍野菜食わなきゃ死ぬってぇのか!?そもそも3倍ってぇのは、カサなのか重さなのか?ニンゲンも動物なんだから、生きるために必要な食物は、放っておいても体が欲しがるんだよ、うるせぇな、と憎まれ口を聞きながら育った。しかし、大人になってみると、そういう母親の食い物に対する姿勢が、実はしっかりおれの中に染み付いていたのだ。

例えば日々の食生活から野菜が少なくなると、なんとなく不安になる。冷凍食品や加工食品はできれば食べたくない。若い頃は大嫌いだった納豆を、気がつけば週の半分くらいは朝飯に食っている。しかもうまいと思う。

話が逸れた。この辺りの話はまたいつか書こう。

アイロンかけて、歯磨いて寝ます。