行きつ戻りつ

走ったり、投げたり、時に釣ったり、何か作ったり、生きてりゃ行き当るとりとめなき事を

サブ4達成!

苦節、というほどではないが、走り始めて2年。2度目のフルマラソンで、ようやくサブ4達成である。        

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なぜか42.14キロなんだが……まぁいいってことよ

 

今回エントリーしたのは、第20回ハイテクハーフマラソン。

コースの高低差が全く違うとはいえ、ひどい目にあった初フルの記録を30分以上更新した。

もう素直に嬉しい。

実は、カーボローディングぢゃ、ということで、レース前の3日くらい炭水化物ばかり食いまくった。

晩飯の後で測ってみると62.9キロと出た。正月ですでに若干のオーバーウエイトだったのに、我ながらたいへん迂闊である。走るためのベストは59キロくらいだと思っている。晩飯後ということを差し引いても3キロは余計だ。フルマラソンの前日にこの1年半あまりの最高体重になるこたぁなかろう。アホなのか俺は。

なので、エントリーした頃、河川敷でフラットだからサブ3.5とか狙っちゃうぜ、などと目論んでいたのはきっぱり忘れることにして、目標をサブ4に下方修正した。

ただそれだけではあんまりだ。そこで最低条件として、無事の完走も加えた。これまで出場した3つのレースでは、ことごとくオーバーペースによるふくらはぎやモモ裏の痙攣に見舞われて、苦笑いしながらよちよちゴールゲートをくぐっている。今度こそ自分の持っている力を見極めて、きっちり最後まで走り切るのだ。

それだけではない。今回はスタート前に、必須アミノ酸やらBCAAやらなんやらがたっぷり入っているというエナジージェルや、それを顆粒状にしたやつをおまじないのように摂取し、給水ポイントでもさらに追加投入する構えなのだ。

20年くらい前、草野球の試合で何度も来た事のある懐かしい河川敷の野球場が今回の会場だ。到着してみると、これがとっても寒い。焦ってスタート地点に行ってしまうと、寒さに震えながらスタートを待つことになるに違いない。それは嫌だ。幸いトイレはガラガラに空いているし、フルの参加者は少なそうなので、ギリギリまで荷物を預けずに、ダウンジャケットを着てストレッチしたり上に書いた直前の補給をしたりしながら過ごした。

1分前にスタート地点にたどり着いたらやっぱり参加者はたいして多くない(結果速報によると、フルの男性完走者は671人)。なので、のんびり最後尾からスタートした。周りを無理に抜かずに、これなら全然力を残して完走しちゃうぜ、アミノ酸余っちゃうぜ、などとと思いながら走った最初の1キロのLAPは5分40秒。

ありゃ、このペースのまま行ってもサブ4だよ。しかし、どう考えてもこれは遅すぎる。俄然その気になってギアを上げた。とはいえ佐倉の前半の教訓があるので、あくまで抑え目で行く。しかしそれでも2キロ目のLAPは5分6秒だ。

そんなに上げたつもりはなく、まだ様子見のつもりだったので、我ながらちょっと驚いた。もしこのペースで行って30キロを過ぎても力が残っていたら、後半10キロにそいつをぶち込めばいいのだ。そう考えてそのまま抑えて進む。5分1秒〜10秒の間を行き来しながらハーフまで来た。これなら3時間30分台で行けるじゃないか!

ただ、そろそろ右足首や左腿裏に違和感が出始めた。これまでは、この違和感が二次曲線的に増してゆき、たちまち回復できないレベルに至り、実質的にそこで終わっていたのだ。

しかし今日は違う。佐倉ではそこで全てが終わった25キロ地点を無事通過した。思わず、“やったぜ!”と口に出して言う。ただ、確実に足は重くなりつつある。5分10秒以内のペースから落ちて行きそうな感触もある。そこで、その少し先の給水ポイントで例のアミノ酸を投入する。

すると何ということか、数キロ走るうちに左腿裏の違和感が消えた。

おお、これか!効くのかこれ!すげぇな!

ところが、30キロでLAPが急に落ちた。5分14秒。31キロは5分16秒。なにぃ、アミノバイタル効いてねえのか!!やっぱそんな急に行き渡らねーよ。

しかし残りは12キロ。練習でよく走る距離とほとんど変わらない。頭の中で目の前に続く単調な河川敷をいつものコースに置き換えて、1キロずつ刻むことにする。32と33のLAPは5分2秒。足の重さは走るほどに増して行き、34キロは5分18秒に落ちた。ただ、まだ貯金は残っている。平均 LAP5分10秒は何が何でも死守するのだ!

いや、それにしても足が重くなってきた。35キロの壁って、これか。ちょっと遅かったかなぁと思いつつ、たぶん最後の給水所で2本目のアミノ酸を投入する。35キロまで来たのだ。プラシーボでも何でもいいから、とにかく最後まで足をもたせてくれればいい。

同世代と思われる痩せた女性になす術もなく抜き去られた。肘から先を左右に大きく振るバランスの悪い走り方で、淡々と走って行く。その少し後で追いついた女性の水色のウエアも、少しずつ遠ざかる。

たぶんトイレに寄っていたのだろう。25キロ地点で俺を抜いて少しずつ見えなくなって行ったこれも同世代と思われる緑色のウエアの小柄な男性が、左手のグラウンドから現れて俺の前に出た。彼もまたどんどん小さくなっていった。

ペースは20秒台に落ちた。右足のアキレスからふくらはぎと左腿が痛い。ゴールするまで、痛みは増し続けるんだろう。冗談じゃねぇな、と思ってうんざりする。“こんなものただの痛みだ!”とスコット・ジュレクの真似をしてうそぶいてみるが、足が重すぎるのと痛いのとでペースが上げられない。「足がつらないペースで」というのは、もはやこの痛みを受け入れられないことへの都合のいい言い訳に成り下がったようだ。どれだけの根性や忍耐力があれば、こういう局面を乗り切れるんだろう。いや、そんなもので体力の限界を超えられるなんて、絶対嘘だ。体力がなければ精神力など役に立たない。

ついさっき、“やったぜ!”と快哉したばかりなのに、いまは、“畜生!”と呻きながら走っている。

40キロのLAPは遂に40秒に落ちた。それでも絶対に5分台はキープしようと決めて、やっと見えてきたゴール直前の京浜東北線の陸橋や、ゴールより先の新荒川大橋を目指して顔をしかめながら前傾して走った。スパートとはちょっと言えないが、42キロからゴールまで(ガーミンによるとなぜか140m!)は、キロ5分11秒だった。ゴール前で待っているカメラマンに、初めて笑顔でガッツポーズができた。

ゴールゲートの先で、運営係の人が完走メダルを手に待っている。ピッカピカじゃないですか。

“おめでとうございます”と、首にかけてくれた。

“ありがとうございまっす!”

晴れ晴れとした声が出て、ビックリした。

あったかいおしぼりを手渡してくれた係の人やペットボトルを渡してくれた係の人やTシャツの係の人や荷物預かり所の係の人にも同じ調子で礼を言い、ニヤニヤしながら芝生を歩いた。さっきまで痛みや苦しみは、あっけないくらいに消え失せている。あるのは達成感だけだ。

これだからみんな走っちゃうんだな、と思った。やっとそれが実感できたよ。

シートを広げてよろめきながらシューズを脱ぎ、腰を下ろした。空は日本晴れ。首から下げたメダルの重さが心地いい。完走メダルでこんなに嬉しくて誇らしいんだから、オリンピックで金メダルとか取っちゃったら一体どんなになっちゃうんだろう?

Tシャツと一緒にもらったランチパックの全粒粉入りハム&チーズを、なんてウメェんだろう、これから何かあるたんびにランチパック買っちゃうかも、などと思いつつ食っていたら、俺と同じようにメダルを首から下げたランナーがやってきて、俺から少し離れたところに仰向けに寝転がった。かなり消耗している様子だが、目をつぶってニヤニヤ笑っている。

キミも満足なのね、よかったのう、と眺めていたら目を開いてこちらを向いた。1秒ほど目が合った。そこはかとなく微笑んで何か言いたげな顔をしたようにも見えたが、何となく恥ずかしくなって、目をそらした。ガイジンなら親指立てて、“グッジョブ!”とか言うところなんだろう。あいにくニッポン人なんで。

 

会場を後にして、赤羽のアーケード街で580円のごくごく普通の味噌ラーメンを食べた。五臓六腑に染みた。

2月には浦安でのハーフが、3月には再び佐倉でのフルが待っている。きっとうんざりしながら、それでもやっぱり走るんだろう。しかしこのままただのジジィになるわけにはいかん。ガキの頃から、諦めの悪さだけは人一倍なのだ。

やれやれ、ありがたいことである。