行きつ戻りつ

走ったり、投げたり、時に釣ったり、何か作ったり、生きてりゃ行き当るとりとめなき事を

トイレ臭い(泣)〜東京五輪オープンウォータースイミング問題に思う

おれは東京オリンピック決定のニュースを苦々しい思いで見た。オリンピックが平和の祭典である一方で、利権と金儲けの話しであることは百も承知だ。それが世界のどこかで開かれるならまぁ構わない。ただ2020年の東京で行われるってことに、納得が行かなかった。

きっとこれから、五輪の陰で優先順位がいつの間にか変えられてしまう問題の数々、利権獲得や儲け話に躍起になった連中の浅ましさやしたり顔、祭りの後の負の遺産に対する責任の所在がうやむやにされる顛末、そしてそれらを見せつけられた挙句の思考停止を嫌でも目の当たりにすることになるんだろう、と思ったからだ。

でも、もはや招致決定がひっくり返ることはあり得ない。なのでせめてまともなことが行われるのを期待しようと思っていた。ところがフタを開けてみたら、開催されるのは昭和39年と同じ10月ではなく、なんと8月だという。いきなり来やがった。屋外競技の選手は人身御供か?

しかも人身御供は屋外の陸の上の選手だけではなかった。オープンウォータースイミングという種目があることすら知らなかったんだが、出場選手はわずか25人だというし、大げさな施設が必要なわけでもなかろう。どんな対策を講じたところで改善はムリだろうから、とっとと謝って、せめて普通の感覚で人が泳ぐのに妥当だと思えるところに会場を移せばいい。そんなところは東京から1時間もかからずにいくらだってある。

あ、トライアスロンの会場もお台場らしい。そういうことだから、ごめんなさいお台場ナメてました間違ってました、とケツまくるわけにはいかないのか?
 

昭和3、40年代は、公害の時代だった。

東京の三鷹市で小学生時代の大半を過ごした。東京駅から快速で30分かかるからもう郊外と言って良い。住んでいた官舎の隣には大手都市銀行のプールがあった。子供のいる家には夏休み前に入場券を配ってくれるので、天気がいい日はプールに行った。

風がなく気温が上がった日には、たいてい光化学スモッグが発生した。深呼吸すると気管支に締め付けられるような痛みが走るから、注意報が出る前にわかる。あ、今日も光化学スモッグだぜ、とプールに浸かりながら友だちと胸の痛みを確認しあう。そうなるともう泳ぐのはやめて家に帰ることになる。そんな日は珍しくなかった。

水質汚濁もひどかった。まだ環境基準値という概念すらなかったんだろうか。工場の廃液や生活排水の多くは、そのまま海や河川に流れ込んでいたのだろう。東京を流れる河川の多くは腐った水が流れゴミが浮かぶドブ川と化した。多摩川にアユが戻って来た、というニュースを見た時は信じられなかった。当時のおれにとって多摩川とは、洗剤の泡で水面が覆い尽くされている汚れきった川だったからだ。

そんな水が流れ込んでいる東京湾はきっと死の海に違いない。触れるだけで病気になってしまうような、あらゆる毒物が流れ込んで濃縮された何も生きられないところなんだろう、と当時のおれは思っていた。

昭和46年に公開された映画では、ゴジラは海から生まれたこんなおっそろしい怪物と戦わなければならなかった。

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あ、あれ?なんだこのソフビフィギュア感は?

映画館には行っていないので、たぶん友だちが持っていたマンガ雑誌のグラビアか、テレビで流れていた予告編の映像で見たんだろう。上のジャケ写では全く伝わらないのが残念だが、ドロドロに汚染された暗い海からぬらぬらと現れる巨大な怪物、それがヘドラだ。ヘドロを煮詰めたような凄まじい臭気を放つ粘液を全身から垂れ流し、触れるものを何もかも腐食させながら這いずり回るんだと思った。公害があまりにも身近な出来事だった当時、ヘドラにはキングギドラにもモスラにも感じなかった圧倒的なリアリティがあった。

そしておれは、そんな史上最悪のきったない敵と戦わなければならないゴジラが気の毒でならなかった。ゴジラVS汚物の魔王。ゴジラえらい!でも、超悲惨‼︎

 もちろん戦いの末、ゴジラヘドラに勝利した。そしていまでは、光化学スモッグもたぶん減ったんだろうし、死の海だった東京湾も随分きれいになったらしい。

いや、本当にそうなんだろうか?公害の象徴として現れたヘドラゴジラが殲滅してから半世紀が過ぎたが、敵はそんなに甘いのか。そんなことはない。

釣りが好きなのだが、最近はなかなか遠出ができない。仕方がないので夏前に、千葉県の湾奥にある堤防で竿を出してみた。水質はお台場よりはかなりマシなはずだ。

ところが海は赤茶色に濁り、水中の様子は全くわからない。しばらく我慢していたけれど、何も釣れない。ウンザリして、遠出ができないからといって、二度とこんなところで釣りをするのはやめようと心に決めた。

東京湾のどん詰まりで泳いではいけない。来てみればすぐわかる。わざわざ泳ぐまでもなく、ここが泳がない方がいいところだということくらい、誰にでもわかる。ウインドサーフィンをしている人たちもいたが、そのタフさ(無神経さ?)には恐れ入る。

ゲリラ豪雨でも来れば、お台場は簡単に絶望的な状況になる。既に誰も責任を取らない筋書きが用意されているのか。どいつもこいつも長いものに巻かれるのか?

やめろ。せめてわずかでもコモンセンスが日本人に残されていることを示せ。

 

なんだ、既にこんなことを書いていた人がいるじゃないか。おれが言いたかったのは、たぶんこういう事なのだ。いまさらおれがうだうだ書くことはなかったな。

そう。戦いはまだ続いている。