行きつ戻りつ

走ったり、投げたり、時に釣ったり、何か作ったり、生きてりゃ行き当るとりとめなき事を

BORN TO RUN再読

より速くより遠くまで走れるようになりたいなら、暑くても走った方がいい。わかっちゃいるけど、今年はなかなか思うに任せない。インターバルトレーニングやSITだけじゃ、10月のハーフはパッとしないかもなぁ、と思う。

そこで、もう一度読むことにした。

 

 

素晴らしい。最終章の銅峡谷でのレースを前にしたカバーヨ・ブランコのアジテーションが心を打つ。

なぜ走るのか、なぜそれが愛すべきことなのか。それを確かめるために、ちょいと走りに行っちゃおうかな、という気分になる。

しかしそこでふと考えてしまう。おれは彼らのように、本当にそれを愛することができるんだろうか。楽しさや喜びを愛する、だけならばわかりやすい。苦しさや疲労も全てひっくるめて愛する?正直そういうものは、あんまり愛したくない。いったいどういうことなんだろう。

共に走る仲間や、支えてくれるチームがいるから、ということではないはずだ。走ることそのものの中にそれがあるのだ。この本を読めばはっきりとわかる。

わかるにもかかわらず、走ることに真剣に取り組めば取り組むほど、それはおれにとってやっぱりいわばある種の修行、苦行に近づいて行くのだ。修行を愛する?語義矛盾ってやつじゃないのそれ。

そもそも愛するってなんだ。走れることが嬉しい、ってことのなんかもう少し先にあるもんなのか。

確実なのは、少なくとも走らなければわからない、ということだ。

仕方がないので、明日からまた走ることにする。