行きつ戻りつ

走ったり、投げたり、時に釣ったり、何か作ったり、生きてりゃ行き当るとりとめなき事を

ヒメよ、ありがとうよ

 

珍しくなにも予定がない休日、録り溜めてあったテレビ番組を何本か見た。多くが生き死にに関わる内容だった。何百キロというトレイルを走り続けるレースを追ったドキュメンタリーだって、見方によってはそういう文脈で捉えることもできる。若い頃よりも死が身近になっているのは間違いないので、そうなるのも当たり前なんだろう。

4/3の朝、19年一緒にいた愛犬(という呼び方が一番ふさわしいんだろうなやっぱり)ヒメが、とうとう逝ってしまった。

友達のヒヨコの親方が心のこもったブログを書いてくれたので、それでいいかなぁと思っていたんだが、やっぱり自分でも書いておこう。

loveofcats.hatenablog.com

少しずつだけど確実に衰弱して痩せてしまい、腰もエビのように曲がっていた。それでも何とか立ち上がろうとし、支えてやると萎えた後ろ足を引きずって懸命に歩いた。しかし遂に起き上がれなくなり、その時が近付いている事はわかっていた。食べ物を口にしなくなってから3日間、小さなスポイトで口の脇から含ませる水だけで持ち堪えた。

4日目の朝、お別れは突然やってきた。こんなに悲しいのか、と驚くくらい悲しかったけれど、家族全員が家にいられるギリギリのタイミングだったから、すぐに出かけなければならなかったおれや長女にはあまり悲しんでいる間もなかった。そんな時までみんなに気を使ってくれたんだなコイツは、と思った。

おれはどういう訳か生まれついての生き物好きで、イヌやネコが飼いたくてたまらなかった。でも親が転勤族で官舎暮らしが長かったこともあって、子供時代にはそれが果たせなかった。そして大人になってやっとペットを飼うことができる環境になった。だけどイヌは金魚や昆虫とは違う。そういう生き物をちゃんと責任を持って飼うことができるんだろうかと考えると、なかなか踏み出せずにいた。

長女はおれの血を引き継いだからかどうか、小さな頃からイヌやネコはおろか虫のたぐいも全く怖がらず、公園に行けば警戒心なく寝そべる野良ネコの尻尾をむんずと掴み、カブトムシのでかい幼虫を平気で手の上で転がしていた。

ペットショップに行くと、大喜びした。ただ、仔犬や仔猫たちと別れるのが悲しくて、最後にはいつも、ワンちゃ〜んと大泣きしながら帰るのだった。

そんな長女の姿を見ておれは躊躇するのをやめ、イヌを飼う事を決めた。つがいのダックスを飼っている人が、生まれた仔犬たちの里親を探しているのをネットで見つけ、うちにやってきたのがヒメだった。

以来19年という長い間、一緒に暮らした。あいつは幸せだったろうか。おれは決して手本になるようないい飼い主にはなれなかったと思う。飼い主を信じ見返りを求めず一途に慕い続けてくれたあいつに、ちゃんと応えてあげられていただろうか。

おれは大人になるということは、強くなることタフになることだと思っているフシがある。しかもたぶんそれは、ある種の爬虫類の皮膚のように角質化した分厚い鎧で心を覆ってしまい、自分の痛みや悲しみ、ひいては他の人の痛みや悲しみにも鈍感になることとほとんどイコールなのだ。そんなものが大人になることであるわけがない。

だけど、その鈍感さの鎧に思いがけずいきなり亀裂が走ることがある。自分の中にこんなに柔らかい無防備なところがあることに気付いてうろたえる。それに気付かせてくれたヒメと、ヒメが残してくれたたくさんの思い出に感謝したい。

 

死んだらどうなるんだろう。

だれも知らない。

それでも信じたい。いまではもうどんなイヌも放すことができなくなってしまったあの公園の草っ原を、あいつはいまごろきっと耳なんか裏返らせちゃってなびかせながら、弾けるような勢いで好き放題駆け回っているんだと。

足元で身をかがめ、早く追っかけてくださいよ!とこっちを見上げながら、おれが”よーいドン!”と言うのを待っている姿が目に浮かぶ。

最後の一滴まですべてを使い切って懸命に生き抜いた、素晴らしい最期だった。

そうやって生きよう、生きなければと思う。

ヒメよ、ありがとうよ。

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いちばん凛々しい横顔