行きつ戻りつ

走ったり、投げたり、時に釣ったり、何か作ったり、生きてりゃ行き当るとりとめなき事を

お灸をすえる

ひょっとしたら、もはや死語に近いのだろうか。

そもそも“お灸”が今の生活の中にないのかもしれない。

悪いことや過ちを犯した者をたしなめ、反省を促すこと、という意味だろう、と思ってためしにググってみた。

“きつく注意したり罰を加えたりしてこらしめること”

“こらしめる”か。ということは、悪意や怠惰に基づく行為が対象になるというニュアンスが強いんだな。辞書は、簡潔かつ的確だ。

 

経済学では、失敗した場合に叱ることと、その後失敗が減ることの間には、因果関係がない、と考えられているらしい。

オイコノミア 悩める上司・部下へ 上下関係の経済学 クラッシャー上司からの脱出方法 | みたらしTV

「ほめられて伸びるタイプなんです」という言い回しが登場したのは、最近のことだと思う。当初は、新たに出現した本当にそう感じている世代が、叱られてこそ人は伸びる、と信じて生きてきた旧世代に対し、冗談のニュアンスに本音をくるんで伝えようとしているのだと思っていた。だからある種ギャグのように受け止めている部分もあったのだが、もはやそれが当たり前のスタンダードになっているということなのだ。

理屈としてはわかるし、理に適っていると思う。んー、しかしなぁ、これも認知の歪みということなんだろうかな、やっぱりどこかしっくり来ない。 

 

さて、そこでお灸の話だ。少なくとも2週に一度はメンテナンスに通うことにしたので、今週も整骨院に行った。

ひざの痛みを治すには、やっぱり筋力アップとストレッチ(特に太腿ウラ)らしい。確かにウラ腿をマッサージしてもらうと、右腿の方が圧倒的に気持ちいい、というか同じ揉まれ方でも左に較べ刺激が強い。はうっっっ!となる。

あっためるのと冷やすのとどちらがいいのか訊ねると、走った直後はまず冷やして、普段は暖めて血流を促進するのがいいという。

お灸なんかもあり?と聞いたら、ありですよあり!今日やっていきますか?という。なんだか恥ずかしいのでお断りして、駅前まで戻って薬局を覗いてみた。昔ながらの火をつけるタイプが欲しかったので探すと、ひとつだけ置いてあった。

熱さにより5つのバリエーションがあって、売っていたのは下から2番目のヤツだった。初心者はいきなり熱いのを使わないように、と書いてある。物足りないぞ。でもまぁ、お灸初心者というか、初体験だし、それを買って帰った。

子供の頃田舎に行くと、じいちゃんがばあちゃんに肩や背中にお灸をすえてもらっていた。じいちゃんは、んむ〜、とか唸っていたような気もするが、その一方でとても気持ち良さそうだった。その上、薄緑色の台座が和菓子のようですこぶるうまそうに見え、これは相当いいものに違いないと思った。なので自分にもしてくれとばあちゃんにせがんだ。子供がするものじゃない、とあしらわれたので、そこをなんとか、と食い下がった。しかし取り合ってもらえず、結局じいちゃんが使い終わった直後のもう熱くもないやつを背中に置かれて、お茶を濁された。

だから、お灸=とても気持ちが良くてカラダにいいもの、というイメージがある。

そして今日、遂に初お灸をすえる日がやってきたのだ。期待は高まるのだ。

帰って早速すえてみた。煙が立ちのぼる。蚊取り線香とは違うモグサの燃える匂い。正直に言って、あんまりいい匂いではない。仕方がないので窓を開ける。さて〜、あちくなれよー、と待ち構えているうちに、一向に熱くならないまま燃え尽きてしまった。

あれ?ひとつじゃダメなのか?と思いふたつ並べてやってみる。

少しだけあったかい。しかし、やっぱりそれで終了。なんだこりゃ。こんなんじゃ、全然ダメだ。

お灸をすえることが、しつけや部下育成のセオリーではなくなったのはまぁいい。しかしお灸そのものまでが、こんな腑抜けたものになるとはどういうことだ。アチチチ、とならないものをお灸と呼んではいかんのではないか。

仕方がないので、30個398円で売っていた使い捨てカイロの小さいやつを使うことにした。なんという安さだ!ものの値段としておかしくないかこれ?ただ、何時間もずーっとあっためていたいわけじゃないし、そんなことをしたら低温やけどになりそうだし、値段はともかく、なんだかもったいないこと甚だしい。

試行錯誤は続くのだった。