行きつ戻りつ

走ったり、投げたり、時に釣ったり、何か作ったり、生きてりゃ行き当るとりとめなき事を

まさかの沈没〜第39回つくばマラソン

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撃沈ではなく、ただの沈没orz

 

こりゃもうイチから出直しだ。

1月のハイテクマラソンを3時間39分で走ってから10ヶ月。2回目のフルでここまで来れたことに満足し、少しばかり自信もつけていた。

夏にはインターバルトレーニングも取り入れたし、最近の調子もそこそこだと思っていた。だから高速コースだというつくばならサブ3.5行けちゃうかも〜などと楽観していた。喉元過ぎればとはこのことだ。よーく振り返ってみれば、そこまでの準備はまるでできていなかった。身にしみたはずのフルマラソンの厳しさをすっかり忘れていたのだ。

ヨレヨレでゴールし、ガーミンの表示を確認して目を疑った。まさかの4時間オーバー。

おれがアホでした!42キロってこういうことになるんだよ。思い出したよ!

もうこれでしばらくはフルマラソンをなめた口など聞けないはずだ。しかし最近、不愉快なこと気に入らないことは、どんどん忘れられるようになっているような気がする。なので、念のために書いておこうと思う。

 

あんまり早く着いてしまって、雨の中でスタートを待つより、着替えてトイレ行ってちゃっちゃとアップしたらすぐスタート、って感じのタイミングで会場入りするのがベストだな、などと考えていた。余裕を持ったつもりでスタート1時間前に研究学園駅に着いたら、バス待ちの行列がとんでもない長さになっている。それでもバスはどんどん来るから、余裕だと思っていた。

会場に着いたのは、スタート30分前。まだ間に合うと思っているあたり、どうかしている。

ランニングウェアの上に上着とパンツを着てきたので、更衣室に行く必要はない。やれやれ、と思いながら荷物預かり所のある多目的グラウンド前の歩道で準備を終えた。荷物を手にした人の列に並んだが、泥水はどんどん流れてくるし、少しずつしか進まない。スタート15分前になった。トイレに行きたい感じはないので、アップする暇はないけれど、荷物預けりゃあとは走るだけだな、などとそれでものんびり構えていた。

多目的グラウンドに入って、事情がわかった。泥沼だ。すっ転んでしまったらしくウェアを泥まみれにしたおっさんが歩いてくる。おれのブースは、その泥沼の一番奥にあった。最初は靴を濡らさないように、沼化していない所を選んで爪先立ちで歩いていたが、その先を見て諦めた。回避する術はない。開き直ってドロ沼に踏み込む。ニュルニュルのズブズブになりながら荷物を預けたらスタート時刻を過ぎていた。

道端にできた水溜りにジャブジャブと入り、靴をすすぐ。中に入り込んだ泥までは取れない。本当は靴も靴下も脱いでここで洗いたいくらいだが、そんな余裕はなくスタート地点に向かった。

スタートゲートにたどり着いたのは、自分の次の次のグループが走り出す間際だった。号砲も何もないどうにも締まらないスタートを切った。

走り出すと、周りのランナーとペースが合わなくてジリジリする。なので、歩道の縁石に飛び乗ったり、蛇行したりしつつ先行するランナーを抜きながら走った。

こういう無駄な動きが、後々のダメージの一因になったのは間違いない。初ハーフでもそれをしでかしたのを忘れていた。30キロまでは足を残して抑えて走れ、と直前に読み返したマラソン本にも書いてあったではないか。当たり前のことだ。しかしそんな冷静さは、アタマからきれいに消えていた。

水浸しの靴は思ったほど気にならない。雨も走るのを妨げるような強さではない。気温もちょうどいい。ラップは4:55前後。足は軽いし呼吸も正常。今日は行けるな、と思った。20キロくらいまでは、ひたすら前をいくランナーを抜き続けたように思う。

しかし実は15キロくらいで右のふくらはぎに軽く違和感が出始めていた。15キロくらいいつも走っている。ペースだってむしろ抑え気味だ。今のおれならキロ5分で42キロを走り切れるはずじゃないか。こんなものはすぐに消えるだろう、と思っていた。

 ところが中間地点まで行くと、違和感はさらに膨らんだ。右ふくらはぎにこれまで全てのレースで経験してきた痙攣の予兆がある。痛みも混じってきた。

しかし、決して無理なペースではない。確かに昨日はほとんど眠っていないが、カラダはしっかり休めたはずだ。それだっていつものことだ。補給も給水所ごとに十分している。ガス欠になどなっていない。にも関わらずどうしてこんなことになり始めたのか。わからない。

スコット・ジュレクのように「こんなもの、ただの痛みだ」と頭の中で唱える。余計なことは考えないように、頭を空っぽにしてただ走ろうとした。

そうやって走れたのも27キロまでだった。5:10前後を保っていたのが堪えきれなくなった。そんなペースで行くとツっちゃうぜ、と左右のふくらはぎから警告が伝わる。痛くて走れないのではない。このペースをキープするとふくらはぎがもたないことがわかる。それはダメだ、と思ってペースを落とす。これが、心が折れる、ということなんだろうか。

30キロを過ぎるとラップは6分台に、35キロでは7分台になった。路面が荒れた所や傾いた所で足指を踏ん張ると、それがふくらはぎに連動して、何度か危うくつりかけた。

初フルの佐倉では25キロで右腿裏がいきなり痙攣して、そこから先は何度も立ち止まらざるを得なかった。こんな走りでは、タイムはもうどうにもならない。ならば、せめて一度も立ち止まらないでゴールまで行こうと決めた。

ペースはどんどん落ちて行く。後から後からたくさんの人がおれを抜いて行く。なんでみんなそんな元気に走れるんだ。1キロが本当に長い。ふくらはぎがつりそうだというのは、ただの言い訳で、本当は痛みや苦痛に負けているだけなんじゃないのか。おれを抜いて行く人たちの多くも、実はおれと同じような状態なのに、それを抑え込んで、跳ね除けて走っているんじゃないか?とさえ思った。

40キロ地点まで来て、遂に歩いてしまった。走ったままでは最後まで行けないと思ったからだ。(いま振り返って、それは言い訳だったなぁと思う)ただ、腕だけは走っている時と同じように振る。もはやラップは8〜9分なので、歩いてもスピードはあまり変わらない。ところがありがたいことに、歩くとふくらはぎの痛みや痙攣寸前の違和感がほとんど消えた。たぶん使う筋肉が違うんだろう。

残り1キロを切って、歩きながらゴールゲートをくぐるのは絶対にダメだと思った。キロ9分だろうが、最後は走りながら終わりたい。再び走り始めてみる。ふくらはぎはなんとか持ちこたえそうだ。

よちよちとゴールゲートをくぐる。痙攣回避のためにロボットのようにすり足でギクシャク歩く。トラックの内側のアンツーカーが所々乾いていて、ゴールしたランナーたちが横たわって身体を休めている。その間を歩きながら、こんなところで横になるなよ馬鹿野郎、と自分に言った。今日のおれにそんな資格はない。

荷物を受け取って着替える。座らない。確かに疲れた。しかし、消耗し尽くたというには程遠い。

バスで研究学園駅まで戻りつくばエクスプレスを待つ間、もう意地を張ることもないか、とホームのベンチに腰掛けた。ゴツゴツして、座り心地は良くない。

納得できる結果を出せていたら、あてどのない気持ちで1年を過ごしたこの地を30年ぶりに訪れた感慨も何かしらあったかもしれない。おれは本当は、ものすごく悔しいんじゃないのか。

落とし前をつけるために、来年も必ず戻ってくることに決めた。