行きつ戻りつ

走ったり、投げたり、時に釣ったり、何か作ったり、生きてりゃ行き当るとりとめなき事を

生きてるんだったら、走れ

明日、長く心臓を患っていた知り合いの通夜がある。昨日、亡くなったことを知らされた。夏頃に、大きな手術を受け、予後は良好だと聞かされていたこともあり、今年は、近しい人を見送らずに済みそうだな、と思っていたところだった。畜生、そこに来やがったか、と思った。

彼とは、友人とまでは言えない付き合いで終わってしまったのだが、場がざわつき始めたり、まとまりを欠き始めたりすると、要所を押さえて周りに気を配りながらその場を納める事ができる人だった。飄々とした物腰の向こうに、彼の強さや優しさが見え、いつも感心させられていた。

今日は、そんな彼のことを思いながら走った。最近もっぱら走っている10キロコースは、自宅から2.5キロほど離れた公園まで行き、その公園の周回路を6周し、来た道をそのまま戻るルートだ。その往復のルートは、ちょうど中ほどで彼の自宅のごく近くを通る。そのあたりは全行程のうちで最も起伏の大きいところだ。行きは下り、帰りは上り坂だ。

右ヒザを労わっていた1月半ほどの間に、体重は3キロ近くリバウンドしている。

しかし今日、復路でも最後まで手を抜かなかった。抜くものかと思った。苦しさに思わず顔をしかめそうになるその上り坂を、無理矢理笑顔で登り切ってやった。これまでの復路の記録を2秒縮めた。

うだうだ考えた挙句、結局エントリーを回避していた佐倉朝日健康マラソンのサイトを覗いてみたら、ネット申し込みは昨日で締め切られていた。ただ、郵送でパンフレットを取り寄せれば、まだエントリーはできるようだった。

こりゃあ出なきゃなんねぇよなぁ、Uさん。

こんなかこつけるようなやり方は、卑怯だと思う。マラソンごとき、自分一人で走ることもできないのだ。しかし、おのれの怯懦をどれだけ恥じたところできりがない。

聞こえているんだかいないんだか、もはやわかりようもない彼に語りかけた気になって、封筒に宛名を書いた。