行きつ戻りつ

走ったり、投げたり、時に釣ったり、何か作ったり、生きてりゃ行き当るとりとめなき事を

つくばマラソンエントリー完了!

去年は、迂闊にもエントリー開始日を忘れて、半日後に慌ててHPを開いたらもうすでに定員に達していたのだ。

なので今年こそは!と気合十分でエントリー開始時刻前にPCに貼り付いて、その時を待っていた。

しかしエントリー開始の20:00、RUNNETはアクセスが集中し全く繋がらず、電話もお掛け直しくださいを繰り返す。こんなことになっているのかつくば!と驚き呆れ焦りつつ30分近くが経過した185回目のリダイヤル中、PCのディスプレイがエントリー画面に切り替わった。

入力中でも定員に達した場合はエントリーを締め切ります、という表示がある。ブラインドタッチはずいぶん昔に諦めている上に焦るのでなおさら入力が覚束ない。一旦申し込んだTシャツを、そんなもんいらんな、と思い直して間に合ってくれ〜!と思いつつ取り消し寄付に回し、ようやく確定ボタンを押すことができた!

んあ〜、もうちょっと寄付しときゃよかったか、と思ったがそこはまた別の機会にするのでこれで許して欲しい。

(21時に、もしやと思ってリダイヤルしてみたら、申し込み終了のアナウンスが流れた。ギリギリだったのかもしれない)

 

ところで、1年間つくばで暮らしたことがある。30年ほど前、新卒で入社した会社から半年目にいきなり転勤を命じられたのだ。

その名も筑波研究学園都市。東京近郊に突然出現した近未来都市というイメージを抱いて、バイト先の先輩がタダでいいよというのを、それじゃ申し訳ないので、と1万円で譲ってもらった10年落ちでマフラーが取れかかったセリカダブルエックスで常磐道を北上していたら、突然ワイパーが全く効かない凄まじい雷雨に見舞われた。

住むことになったワンルームのアパートは、場末感漂う飲食店が連なる地域の一角にあった。あたりを歩いてみると、飲み屋街なのになぜか広大な駐車場がある。クラブ赤坂、カフェバー原宿、パブ六本木………。店名の看板が目に痛い。ショッピングセンターでは薄手のカーディガンを羽織り女物のつっかけを引っかけたヤンキーがうろつき、一見東京とさほど変わらない外見の娘たちが話しているのは、初めて聞く茨城弁だ。

夕方車で走っていると、遮るもののない地平線に沈もうとする太陽が、サンバイザーより低い角度で真正面から照りつけた。もはや運転できずに路肩に車を止め、どうやらとんでもないところに飛ばされたんじゃないか、とやりきれない気持ちになった。

半年後、学生時代にバイト先の後輩だったMくんが偶然近くに配属されて来た。後半の半年は彼のおかげで持ちこたえることができたような気がする。

ストリートビューで確認したら、住んでいたアパートは当時の佇まいと殆ど変わることなくまだ残っている。少なくとも築40年にはなるだろう。それよりも驚いたのは、その当時南だと思っていた方角が実は北だったことだ。風水とか北枕がどうしたなんてことには全く頓着しないが、方角は常に意識にある。誰しもそうなんだろうと思っていた。そんな人はむしろ少ないらしいと気付いたのはわりと最近のことだ。そういうたちなのに、南北が逆転した感覚のまま1年間を過ごしていたのだ。あの1年間を乗り越えられたのは、Mくんのおかげだけではなく、方角もわからないくらい、センサーの感度を最小限に絞っていたからではなかったか?

 

今日、買い物の途中でふと立ち寄った神社でおみくじを引いた。そこにはこうあった。

 

過ぎたくり言、とり越し苦労、神の授けの身をやぶる

とり返しのつかぬ過去の事を、くり返して思いなやんだり、どうにもならぬ将来の事を案じ煩うのは唯心をいため身を害(そこ)なうだけで、何のやくにも立たぬ愚かな事である。今日は唯今日の事を、面白く楽しく、神様を念じつつ正しい心でやって行く。禍も転じて幸となる。

 

つくばでおれに禍が降りかかった訳ではない。楽しい事だってなかった訳ではない。もとより彼の地に恨みはない。それでも、将来の絵図をうまく描けず索漠とした日々を過ごしていたあの頃を思い返すと、あてどのない気持ちが今でも蘇ってくる。

 

つくばはフラットなコースで道もよく、好タイムが期待できるそうだ。きっとこれまでのどのコースより気持ちよく走れるだろう。

再訪するにはいい頃合いなのかもしれない。