行きつ戻りつ

走ったり、投げたり、時に釣ったり、何か作ったり、生きてりゃ行き当るとりとめなき事を

2回目の捨て漬け野菜入れ替え

ぬか床を育て始めて、今日でちょうど10日目。

朝は目覚めて出かけるまでの身支度をする合間に、おはようと声をかけながらかき混ぜ、夜は仕事から帰って手を洗うと、ただいま、今日はどうしてた?などと語りかけながらかき混ぜている。

うっかり忘れたことなど1日もない。おれにしてみれば、これは大変なことである。

今日は2回目の捨て漬け野菜の入れ替えをした。こころなしかぬか床らしいフレイバーが漂い始めた気がする。捨て漬け野菜を絞った汁はぬか床を美味しくしてくれる、と書いてとあったので思い切り握り込んでみるが、ごくわずか残った水分を数滴しみ出させるのが精一杯だ。

5日間も漬けられた上に絞られてしなしなになっているが、もったいないので捨て漬け野菜を食べてみる。

 おれの母親は管理栄養士である。その母が料理を作る上で頑なに守って来た不動の最優先事項は、美味しいではなく体に良いである。そして同じくらい重要なテーマがもうひとつ。塩分控えめである。

その結果、おれの味覚は世間の平均よりかなり薄味志向に仕立てられている。

なので5日間漬け込まれた捨て漬けはかなりしょっぱかった。しかし!それだけではない。どうやらこれはひょっとしたらなかなかに美味いのではないか!?とも感じた。もはや突発性のぬか床愛に溺れかけているので、客観的な判断などできようもないから誰も同意してくれなくても全然構わないのだが、そう思った。

 

明日から、かき混ぜる回数は1日1回になる。そして捨て漬け野菜をつけるのはあと5日だ。そこから10日間は野菜を入れず、ぬか床のみで乳酸菌を増やす。そのあたり季節によって長さも違うだろうし、厳密にする必要はなさそうだ。そしてそれが過ぎたら、ついにマイぬか床稼働開始である。

300年のぬか床には、もはやひとりひとりを遡りようもなくなっても、それを受け継いできたすべての人々の命が込められているといってもよいのではないか。これは、必ず終わりが来る個の命を越えて受け継がれてゆく命もある、ということのなのかもしれない。

おれにとってはあと何年のぬか漬けになるのか。10年?30年?40年?いやいや手入れを欠かさなければ、それこそ100年単位で使い続けられるものなのだ。おれの命より長く、その先も誰かに受け継がれてゆくのか。

漬物を自分で漬けてみようと思い立っただけのことなのに、えらく大げさな話になってしまった。いまもぬか床は静かに熟成しつつある。おれも少し落ち着いた方がいい。落ち着いてゆっくりぬか床と付き合って行こうと思う。